浦賀不動日月院 単立宗教法人 三縁山法浄院
神奈川県横須賀市西浦賀2-6-21
TEL: 046-841-8539
2017年5月28日・宝海龍王堂落慶
2018年6月吉日・花水稲荷落慶
本山・三縁山法浄院


花水稲荷
花水の里を守る五穀豊穣・商売繁盛・
家内安全・火事を防ぐ火を司るお稲荷さん
古のころより現代までこの花水の里に鎮座


正一位稲荷大明神


★★2021年11月・花水稲荷神社は一部改装工事が行われ、
社殿前に屋根と本坪鈴が飾られ、登り旗も 宝海龍王堂前に移転しました。




月例祭毎月28日

花水稲荷について

歴史については定かではありませんが花水の里とは地域の古老の話によると現在の神奈川県横須賀市西浦賀三丁目付近の高坂から 吉井に係る地区とのことのようで、推定ですがこの古い地名は江戸時代末期の天保年間ころの地名のようです。

このお稲荷さんの所在地は西浦賀2丁目4番地付近の裏手の里山の土手にあり、こんもりとした竹藪の中に ひっそりと居をかまえていました。すぐそばには横須賀市立高坂小学校があり、この学校の駐車場 入口の門の前を10mほど坂を上った山道の右脇に細い獣道のような道に入るところが この稲荷神社への入口です。
今から40数年ほど前に移転してきて、元の場所からは 10mほど下がったところにあります、移転の理由は宅地造成によるもので余儀なく移転を迫られまして、 移転と同時にお社も新しく再建されました。

元の場所はこの場所から10mほどの山道を登ったところでこの場所は昔はあらし山と呼ばれていた里山でそれは 自然豊かな里山で野ウサギや野生の雉などもいた里山でしたが40年ほど前には宅地造成によりすっかりこの里山の自然も 破壊され現在では浦賀丘という大規模な住宅団地に変貌しています。
今となってはかつてのこの美しい「花水の里」を語ってくれるのはこの花水稲荷だけとなってしまい、 私たちが子供の頃には この里山を飛び回り野兎や鳥たちと遊んだ思い出だけが心に残っています。

歴史は定かでは無く、大した記録もありませんが鳥居そばの2匹の石の狐の台座にはこのお稲荷さんの繁盛時の 年代を思わせる文字が掘られていますがそれによると昭和8年三月午となっています、風化が激しく はっきりと読み取ることはできません。また残されていた古い毛筆で書かれた古い帳簿には大正末期の 記録もありました。

もしかするとそれ以前に既にこのお稲荷様はこの花水の里に鎮座なされていたのかもしれません、そして当時の信仰心が深い 地域の住民がしっかりと お社等を立て直しお祀りしたのかもしれません、そうだとしたらこのお稲荷様は百年ほどはこの花水の地をお守りくださっていた ことになります。

おそらくこのお稲荷さんが発生した当時の繁盛ぶりは現代の私たちには想像も及ばない繁盛ぶり だったものと推測され、現在でもかつての繁盛ぶりを示す、 古い講中の家に保存されていた装飾品や幟旗などが見つかっていて、 この講中の古老の者たちががそうした昔の事を語ってくれました
宅地造成によるお社の移転時に御社を建て替えたそれ以降、このお社は現在のままのものです。


これ以降のお話については、かつて母の時代からの古い講中であった私が記憶に頼って思い出を語ります。


私たちが子供の頃、母たちの時代で戦後の昭和20年かから30年代の時代においてもこのお稲荷さんも 発生時の繁盛ぶりを持続するほどの繁盛ぶりだったように思います。

当時は今と違って庶民の生活の中には大した催し事や行事もなくこうした稲荷講などのお祭り事 が楽しみの行事となっていました。
毎年桜の花がちらほらと咲き始める頃、3月下旬から4月の上旬の頃にこのお稲荷さんのご縁日、お祭りが 催され、 私たちこのお稲荷さん周辺のこの花水講と名ずけられた稲荷講に所属している家(講中)の子供にとってはこのお稲荷さんの祭りは年に一度の 楽しみことでした。
そのご縁日のには講中の大人たちが指定されたお宿に集まり赤飯やお煮しめなどの御馳走を作りお山にあるお稲荷さんに出向き祭壇にお酒や塩、米、お菓子等を飾り地元の神社の 神主さんを伴い祝詞をあげてこの一年の感謝と祈りを捧げてお詣りをしました。
この儀式が済むと御神体と共にお宿に戻り、大人たちは各自の家に当分の御馳走を持ち帰り、 講に所属している家の子供たちに は作ったお煮しめや炊いた赤飯をおにぎりにしてお弁当風に竹のキョウギに入れて振る舞います、 私たち子供はこのお弁当がとても楽しみでした、講中の中にはこのお弁当を楽しみにしている子供のために 講に所属した人も多数おりました。 こうして大人たちはお宿で宴会を催し、お稲荷さんのご神体と共にお祝いをしたそうです。

こうした母たちの華やかな全盛期の時代は既に過ぎて、世代交代した 私たち平成の時代には既にこうした儀式も簡素化されてもはやお宿で御馳走などを作ることもなくなり、 子供たちのためのお弁当作りもしなくなり、すっかり現代化されて 既成の仕出し弁当を準備し、ささやかな宴会を催し、もはやご神体をお宿に卸すこともなくなりました。

平成の私たちの時代となり、こうした稲荷講などの 信仰事もすたれてきて、稲荷さんを守る講の人員も高齢化に伴い 減少して、もはや後継者もいなくなりつつあり、存続自体が危ぶまれている現状となりついにこの平成30年3月の定例会には 花水講を解散してお稲荷様も叶神社様を通じてしかるべきところにお戻しするとの意見が決定されたのです。

しかしこの決定は、

私たちこの花水の里の地でのお稲荷様の存続を希望する複数の講員の意見(お稲荷様をこのままこの地での存続が可能な提案)を無視してこの講の主導権を握る心ない数名の講員たちが意地を張り自分たちの意見を押し通して決定事項としてしまったのです。

講も解散して山にあるお社等も整理されることとになり、 お稲荷さんも地元の鎮守の叶神社の宮司様の手に委ねお戻しす ることになりました。 体の良いは厄介払いとしか思えません。
つまりこの花水の里からお稲荷様を追放することとしたのです。

しかし、私たち一部のお稲荷さんの存続を希望する講中の者たちは

百年もの永きにわたりこの花水の里に鎮座されこの花水の里の象徴でもある歴史ある先人たちの 深い祈りが込められたお稲荷様を一部の心無い講員たちの身勝手な事情でこの花水の里から追放するなど私たちは許すことが出来ませんでした。 そして永期にわたりこの花水の里を守ってきてくれたお稲荷さん、粗末にはできないものと

叶神社の宮司様とも相談をしたところ、やはり私たちと同じご意見で

「できるものならばこの花水の里で 存続するのがお稲荷様にとっては一番喜ばしいことではないでしょうか」

とのことでした。 そこで私たちはこの花水の地に在を置く浦賀不動日月院の御住職、田中誠道様にご相談し事情を話した ところ、

「そうしたご事情ならば、当方でありがたくお稲荷様をお引き受けして永代にわたり末永くお守りいたします」

とのありがたいお申し出があり この平成30年6月に浦賀不動日月院ご住職、田中誠道様の御助力を得て この浦賀不動日月院境内にお社と鳥居を構え花水稲荷様を御遷座していただくことができました。

田中誠道ご住職様には感謝の気持ちでいっぱいです。
お稲荷様もさぞやお喜びのこととお察っしいたします。

毎年桜の花の咲くころがお稲荷様のお祭りです。



どうぞ皆様お参りにいらしてくださいませ。





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